2022年11月20日 C年 王であるキリスト 典礼について
第一朗読 サムエル下5・1-3
長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした
答唱詩編 詩編122・1+2、3+4ab、4cd+5
わたしたちは神の民、そのまきばの群れ。
第二朗読 コロサイ1・12-20
御父は、わたしたちを愛する御子の支配下に移してくださった
福音朗読 ルカ23・35-43
そのとき、35議員たちはイエスをあざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」36兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、37言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」38イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。
39十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」40すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。41我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」42そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。43するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
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十字架の上の楽園
教会暦最後の主日である今日、全教会は「王であるキリスト」の祭日を祝います。この祭日のテーマは、キリストがすべてにおいて王となる、終末における救いの完成です。
イエスが十字架にかけられる場面で、ともに十字架につけられた犯罪人のうちの一人が回心し、イエスに救いを願います。するとイエスは言われます。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(43節)。わたしたちは、この犯罪人の姿に自らを重ねることができます。「なぜわたしだけがこんな目にあうのですか。神様はどうして助けて下さらないのですか。」人生で理不尽な不幸や苦しみに遭ったとき、わたしたちはついそう叫んでしまいます。ですが、わたしたちは気付かないだけなのです。わたしたちのすぐ隣にはいつもイエスがいて、一緒に苦しんでくださっているのです。
イエスがともにいてくださると知ったとき、十字架の上でさえ楽園になります。苦しい時、絶望に押しつぶされそうな時こそ、王であるキリストを探し求めましょう。そして祈りましょう。「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と。