2021年5月9日 (B年) 復活節 第6主日 典礼について
第一朗読 使徒言行録10・25-26、34-35、44-48
聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれた。
答唱詩編 詩編98・1、2+3a、6+7b+8b
遠く地の果てまで、すべての者が神の救いを見た。
第二朗読 ①ヨハネ4・7-10
神は愛である。
福音朗読 ヨハネ15・9-17
ヨハネによる福音
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。9「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。10わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
11これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。12わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。13友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。14わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。15もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。16あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。17互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
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「互いに愛し合いなさい」
今日の福音の12節「互いに愛し合いなさい」は、あまりにも有名なイエスの言葉です。ここでイエスは命令法で「愛し合え」と言い、さらに「これがわたしの掟である」(17節では「命令」)とまで言っています。しかし、愛とは掟や命令があるから行うようなものでしょうか?
手がかりは「わたしがあなたがたを愛したように」の中の「ように」という言葉にあります。原語には単なる「真似をして」「同様に」という以外に、「生かされて」「源にして」という意味があるそうです。つまり、非常に弱く不完全で愚かな私たち、そんな私たちをイエスはありのままに愛して下さっている。そのことを思う時、そのこと自体が行動の源泉となって、私たちは他人を愛することができるというのです。他人をどう愛せば良いかわからなくなった時、イエスがどう私たちを見て下さっているかを考えましょう。そこから得られる何かは、きっとあるはずです。
私たちが日々神の愛で満たされるとともに、他人を愛する喜びで満たされますように!