田園2018年8月号 巻頭言

田園2018年8月号 巻頭言

 

聖母の被昇天

主任司祭 ドミニコ竹内正美神父

 

暑中お見舞い申し上げます。

皆さん如何お過ごしでしょうか。今年も連日暑い日が続いています。
どうぞお体には十分気を付けられて暑い夏を乗り切ってください。
八月十五目はいろいろの思い、出来事、お祝いなどが一杯詰まっている一目です。
世の中では、終戦記念日に当たり、「戦争で亡くした親、兄弟を思う日でもあり、戦争の虚しさだけが心に残り、二度と戦争があってはならない」と誓う日でもあります。
私たちにとって八月十五目は聖母披昇天のお祝いロです。「全能永遠の神よ、あなたは御独り子の母、汚れないおとめマリアを体も洗礼共に天の栄光に上げられました」。このように集会祈願は、教会がお祝いする聖母の披昇天の神秘を表しています。
披昇天は、マリア様が霊魂と肉体と共に天国に入ったという教義です。一九五〇年十万二目の諸聖人の役目に教皇ピオ十二世は「終生処女である神の母、無原罪のマリアは、地上での生活を終えた後、肉体と霊魂と共に天国の栄光に入った」と宣言されました。
聖書の中にマリア様の披昇天についての直接の根拠はありません。教会はマリア様に「恵みに満ちていた」(ルカー・28)ことから論証しています。マリア様に言われた「恵まれた方」とはどのような意味があるのでしょうか。マリア様は天使ガブリエルの「お告げ」に「この言
葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ」と記されています。
一九五四年教皇ピオ九世は、「至聖なる処女マリアは、その懐胎の最初の瞬間に、全能の神から唯一無比の恩恵の賜物と特典によって、人類の救い主キリストの功績を考慮に入れて、原罪のすべての汚れから守られた」と正式に教義決定で述べられています。
マリア様がその存在の最初の瞬間から罪のない状態にあったことを述べる言葉が「恵まれた方」と言うことになります。天使ガブリエルはマジア様に偶然にあなたが「神の母」に選ばれたのですよとは言っていません。神様の救いの計画の申でなされたみ業があってのことでした。
この「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように」はマリア様の信仰の原点とも言えます。言語の意味を強調するならば、「信仰によって聴き従うこと」と言い換えることができます。マリア様はそれを知らないまま神様の言葉に聞き従いました。マリア様と共にあった聖霊に自分を明け渡したことによってできたことでした。
イエス様の誕生、そして十字架の死と復活、それらを共に生きられたマリア様は、生涯のうちに、自分の信仰の原点である「お告げの日」を何度も繰り返し思い巡らされたことでしょう。実に人生の重みを担いながら“あの日”を繰り返し思い起こすとき、“あの日”の持つ本当の意味が生きてきたのではないでしょうか。
聖母の披昇天の祝日は、私たちの祝日でもあります。聖母の披昇天に私たち信仰する者の将来の姿を見ることが出来ます。「生か仰せになったことは必ず実現すると信じた方は、何と幸いでしょう」(ルカ1・45)とのみ言葉が私たちの上に実現しますように。

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