田園2017年1月号 巻頭言
田園2017年1月号 巻頭言
新しい年を迎えて
助任司祭 アウグストヌス桑田拓治神父
新しい年を迎えて、過ぎた年を思い返すとともに、この年の自らの在りように思いをはせる人も多いのではないでしょうか。そのときに、指針、羅針盤とすることのできるものはないでしょうか。私は教皇フランシスコが2014年12月22日に枢機卿たちに向けたクリスマスの挨拶の中で述べられた指摘が私たちにも重要なヒントとなるように思います。それはヴァチカン官僚に向けて述べられた「ヴァチカンの15の病」です。
その内容を見るときに単にヴァチカンの官僚たち、枢機卿たちに向けられただけでなく、カトリック田園調布教会として、また各家庭において、そして個々人としてもこの教皇の指摘に耳を傾けることは大切なことのように思います。それは次のような病です。
- 自分たちが不滅で不可欠だという感覚「自らを批判し改革できない教皇庁は病気だ」
- 働き過ぎ「仕事をしたら休むことが必要」
- 心か石のように頑固になること「泣いている人と共に泣き、喜ぶ人と共に喜ぶ。人間的な繊細さを失うのは危ない」
- 計画しすぎること『計画を変更しない方が楽かもしれないが、神の御心に従う自由を失ってはいけない」
- 調和なく動くこと「我が乱れれば、雑音が混じる楽団のようになる」
- 妄執や誤った考えにとらわれること
- 張り合った虚飾に走ったりすること
- 現実に向き合わないこと「聖職者の役割を放棄して官僚主義的な仕事に収まり、白分たちだけの別世界を作る」
- 陰口を言うこと「はっきり物の言えない臆病者の病気だ。『陰口というテロ』に警戒を」
- 上司の神格化「出世第一主義と日和見主義の餌食だ」
- 他者への無関心
- お葬式のような深刻な顔「福音宣教者は喜びを伝えなければならない」
- 物欲
- 閉じられた「内輪」を優先すること
- 世俗的な利益を求め、見栄を張ること
どうでしょうか、ヴァチカンの官僚たちに向けられた言葉ですが、一つ一つを自分自身の立場に置き換えて、教会、家庭、会社、活動部会などで考えると耳の痛い言葉ばかりではないでしょうか。私も修道者として司祭としてこれらの言葉を自分に当てはめるときドキッとする点が多々あります。
この年はこれらの言葉とは逆の生き方を選び直すことが出来ればと考えています。
教皇は私たちに求めておられるのは、石のような心ではなく、生き生きとした感謝の心で、喜びを持って福音を証しすることなのかもしれません。すべての被造物と兄弟として共に歩んで行きましょう。