2021年2月14日(B年)年間第6主日 典礼について
第一朗読 創世記3・16-19
お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は生涯苦しむ。
答唱詩編 詩編32・5、10+11
主は豊かなあがないに満ち、いつくしみ深い。
第二朗読 ①コリント10・31-11・1
わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。
福音朗読 マルコ1・40-45
そのとき、40重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。41イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、42たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。43イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、44言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」45しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。
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神のいつくしみにより清くなる
この日の福音で、重い皮膚病の患者は、イエスに自分の願いを直接差し出すのではなく、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と神のみこころ、神の御業に、自分を委ね切ります。この人の祈りの姿に、私たちが神のみ前でどのようにあればよいかを学ぶことが出来るでしょう。その祈りは、私を弱い者でなく強い者に、貧しい者でなく富んだ者にして下さい、と叫ぶ声ではなく、私の弱さと貧しさを通して神よ、あなたの御業が行われますように、と願い委ねる人の声なのです。
この人の姿を見て、イエスが深く憐れみ、「よろしい、清くなれ」と手を差し伸べられたことで、神の御業が成し遂げられ、家族や友人からの隔離から解放されました。
まもなく私たちは四旬節を迎えますが、悔い改めた心でゆるしの秘跡を受けるとき、主は「よろしい、清くなれ」と繰り返し語りかけてくださいます。罪という病がいやされ、私たちが神との親子関係を再び体験し、共同体の中に再び完全に受け入れられるよう、汚れなき聖母マリアの取り次ぎを通して願い求めましょう。