田園2015年9・10月号 巻頭言
田園2015年9・10月号 巻頭言 平和は微笑から
協力司祭 トマス小平正寿神父
ほほえみ(微笑)は、照明電気製品ほどお金もかからず、しかもそれ以上に周りを明るく照らす。
主よ、この世界はほほえみを必要としています。わたしたちは自分の身辺で誰かがほほえんでくれるのを望んでいる。私たちの生活により一層の光明がさすようにと。
私が望むのは笑いではなくばはえみである。
笑う人は多い、実に多い。下品な笑いもあり、皮肉な笑いもあり、騒々しい笑いもある。お愛想の笑い、職業的な笑い、落語、漫才などを聞きに行くお金のかかる笑いもある。
主よ、わたしたちはこんな笑いを余り必要とはしていないのです。そんな笑いをしている人の中には案外と心で泣く人が多く、聞く人の悲しみを誘う場合も多い。
今の世界を見れば、人間は悲嘆のどんぞこにいる。恐怖の中でおののいている。明日への恐れ、失業の恐れ、老いの恐れ、病気への恐れ、罪のえさにかかる恐れ、詐欺に会う恐れ、人間への恐れ、神への恐れ、生活と死への恐れ、そして溢れる難民の群れ・・・。
こうした人々はほほえむことはできない。
あきらめに満ちた笑いを見せることはできよう。
いつでも街角に立って見るといい。
目の覚めるような服を身に着けている人、素晴らしい美人、感じのいい人など相当いる。しかし、喜びに輝く顔の人、微笑を浮かべた人は非常に少ないと知るだろう。
子供が元気に微笑みながら遊ぶ姿は美しい。女性にとっても、微笑が他の何よりも自分を飾る最も美しい宝であろう。しかし、この人たちの中にも微笑を見ることが少なくなってきた。
満員の電車の中でぎゅうぎゅうづめになっていても互いの心は遠く離れている。それぞれが、それぞれの心配事、悲哀、かたくなな心、憎悪によって心を占領されている。
主よ、わたしたちはこのように悲しい存在なのです。このままいけば、恐らくあなたのお心をも悲しませることになるでしょう。
主よ、ほほえむ人々をわたしたちに送ってください。
子供たち、貧しい人、罪びとたちに、あなたは微笑を投げかけられた。
本当の喜びは高笑いの中にない、と言った、アッシジの聖フランシスコ。太陽、水、空気、小鳥たち、死にさえもほばえんだアッシジの聖フランシスコのような人を、ふたたび数多く、わたしたちにお送りください。