田園2021年7月号 巻頭言

田園2021年7月号 巻頭言

聖書に親しむ

助任司祭 アウグストヌス 桑田拓治神父

 コロナ禍のもと緊急事態宣言が出され外出自粛がもとめられています。そうした事態を受けて巣ごもり需要という言葉が生まれました。その一つが調理器具であったりします。自宅にいる時間が長くなった事で本格的に料理をする人が増えているようです。巣ごもり需要として聖書に親しむのはどうでしょうか。旧約聖書はハードルが高いようならば、新約聖書のルカ福音書と使徒行録を通して読むことを提案したいと思います。この二つの書には冒頭に送り状がつけられています。聖ルカがテオフィロという人物にイエスの生涯とその後の初代教会について伝えるために書いているのです。そのためこの二つを通して読むと聖ルカが伝えようとしている事を一通り知ることが出来るのです。

 新約聖書は今から2000年前の出来事ですので、現代の私たちからは違う世界観、価値観のもとで書かれています。もちろん人として共通の価値観が存在しているのも事実です。そのため現代の価値観で読み込んでしまうと勘違いしてしまう危険性があるのも事実です。

 福音書にはイエス様の兄弟達が登場しますが、これは従兄弟のことであり本当の兄弟達ではありません。アラム語には従兄弟を指す言葉がなく、従兄弟のことを兄弟と呼ぶ事を知らないと勘違いしてしまいます。第二ヴァチカン公会議前の神学校では授業以外で個人的に読み過ぎないように注意を受けたと言う先輩神父の声を聞いたことがあるくらいです。そうした勘違いを避けるためにはきちんとした注がついた聖書を選ぶことをおすすめします。フランシスコ会訳の聖書をお勧めしたいと思います。

 次に注意したいのはコンテキスト(文脈)を理解した上でテキスト(本文)に触れると言うことです。コンテキストを無視してテキストだけを読むとイエス様が本当に言いたかったことを理解できないことがあります。それはイエス様が誰に向かって語っているのかと言うことです。民衆なのか弟子達なのか罪人なのか、それともファリサイ派と律法学者達なのかという点です。イエス様はファリサイ派と律法学者達に対しては結構意地悪な対応をしていることがありますが、それは彼らがイエス様を試みようとしていることが多いからだと思われます。

 こうした点を心にとめて、巣ごもり需要として聖書に親しむことをお勧めします。

 

※「田園」7月号(No.701)はこちらからご覧ください。

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