2025年9月14日 十字架称賛 典礼について
第一朗読 民数記21・4b-9
神のわざを思い起こそう、力ある不思議なわざ。
答唱詩編 詩編78・1-4、32-35
神のわざを思い起こそう、力ある不思議なわざ。
第二朗読 フィリピ2・6-11
神は、へりくだったキリストを高く上げられた。
福音朗読 ヨハネ3・13-17
13〔そのとき、イエスはニコデモに言われた。〕天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。14そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。15それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
16神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。17神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
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勝利の印である十字架
毎年、9月14日はイエスの十字架を称賛する祝日となっています。この日に十字架の遺物が発見されたという言い伝えと、ゴルゴダに建てられた聖墳墓教会の献堂式が335年9月13日に行われ、その翌日に十字架の遺物が公開されたことに由来しています。今年はこの祝日が日曜日となったため、主日のミサの中で祝うことができます。
今日の福音にあるように「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛され」ました。しかし、その独り子、イエスは十字架にかけられて死んでしまいます。それは、モーセが蛇を掲げたように、ご自身をいけにえとして捧げわたしたちの罪を贖うことで「信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るため」でした。神の子の命を必要とするほどわたしたちを支配している悪は重く、大きいものだったのです。
しかし、イエスにとって十字架は敗北ではなく、死に打ち勝ち、悪に打ち勝った勝利です。わたしたちは復活したイエスによってそのことを知ります。十字架は、わたしたちにとって罪から赦され新たないのちをいただく出発点となりました。
今日のミサで、わたしたちの罪を赦し、救ってくださるイエスを思い、勝利の印である十字架を称賛し、感謝の祈りを捧げましょう。