2025年11月30日  A年  待降節第1主日 典礼について

第一朗読   イザヤ2・1-5

神はすべての民を御国の永遠の平和に招かれる。

答唱詩編   詩編122・1+2、3+4ab、4cd+5

わたしたちは神の民、そのまきばの群れ。

第二朗読   ローマ13・11-14a

救いは近づいている。

福音朗読   マタイ24・37-44

そのとき、37イエスは弟子たちに言われた。「人の子が来るのは、ノアの時と同じである。38洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。39そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。40そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。41二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。42だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。43このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。44だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」

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「目を覚ましていなさい」

今日、待降節第1主日から新しい典礼歴が始まります。聖書の朗読は3年周期のA年にあたり、福音朗読は主にマタイ福音書が読まれます。

今日の朗読箇所は「目を覚ましていなさい」というイエスの言葉がテーマとなっています。この言葉は信仰に目を覚ましていること、今日の朗読箇所に続くたとえ――忠実なしもべと悪いしもべのたとえ――でイエスが語っているように、与えられた命、時間を大切に使い、神の御旨に従って人生を歩んでいくことを意味しています。

例えば日常を振り返ると、時として私たちは、物事を自分の思った通りに動かしたいという衝動から、相手を厳しく責めたり、憎んだり、環境に対して怒りを抱いたりといったことがあるかもしれません。しかし、「目を覚ましている」とは、わたしたちがいつ何時も主のしもべであり、この人生を預からせていただいていることを思いおこすことなのです。そうして、なにもかもが自分の描いた通りになるはずはないことを受け入れ、時には相手を赦すことで、一緒に神の国を作り上げていくことができるのでしょう。

私たちがイエスの声に耳を傾け、平和への道を歩む力を与えられるよう、共に祈りましょう。

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