田園2018年5月号 巻頭言
田園2018年5月号 巻頭言
自分自身をかえりみて
主任司祭 ドミニコ竹内正美神父
「あなた方は神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、思いやりの心、親切、へりくだり、優しさ、広い心を身にまといなさい。互いに耐え忍び、誰かに不満があったとしても、互いに心から赦し合いなさい。主があなた方を心から赦してくださったように、あなた方もそうしなさい」(コロサイ3・12〜3)。
パウロは私たちに、選ばれた者、聖なる者、愛されている者としてこれらの事柄に努力するよう諭しています。私たちはそれが出来る時と、出来ない時があります。相手がこういうふうに変わってくれるとそれが出来るのにとつい思ってしまいます。
自分か変わらなければ相手は決して変わらないのに、ついついそう思うのです。ところで皆さん、皆さんは自分の良いところを三つ以上言えますか?即座に答えられますか?恐らく左右どちらかの手を出して指を折りながら「えーと、良いところあるかなあ」と思案してしまうのでは。
ある人は、「わたしは明るいところかな、くよくよしない、やさしさ」。ある人は「そんなこと自分の口から言えないわ」と口籠ってしまいます。大抵の人は自分の欠点、短所、いやな面はすぐに数えられるのに。日本人は謙虚さを美徳としますが、
自分の良いところを一つも言えないのは寂しいことです。それはイコール自分の頑張り不足ということになります。
誰でもが自分にコンプレックスを持っているものです。と同時に誰でも自分のうちに良いところを持っているものです。それに気付かないことは自分を磨くことに努力を怠っている証拠です。自分自身の中に輝いている何かを持ちたいものです。年々自
分白身に関心を無くし、無頓着になって行っては心身共の成長はあり得ません。
ある本に次のことが書いてありました。「人生とは、一日一日からなる一冊の本である。一人一人が一冊の本を書く。それは私たちがこの世に生れ出るとき開かれ、一生を終える時に閉じられる。私たち以外の誰のペンもそれには触れない。私たちだけのやり方で書くのだ。失敗があっても、成功しても、夜のとばりと共にページは変わり、もう二度と消し去ることはできない。昨日の勘定は締め切られ、捺印される。
朝になると新しいページが開かれ、真っ白の紙が目の前にひろがる。そこに新たなものを書き加えるとは、素晴らしいことではないだろうか。どんな小さな行為、心の願いも・・・、私たちのすることはすべてその本に書きとめられ、白と黒の打ち出し文字がそこに残る。私たちが‘終わり’と書いて、自分の本を神に返すときまで、それは書き続けられる。」
今一度自分自身をかえりみ、「神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者」として、聖パウロの「コロサイ人への手紙の言葉」を生活の中で実行しながら、明日への歩みにつなげて行きたいものです。