田園9、10月号 巻頭言
田園9、10月号 巻頭言 帰 属 意 識
主任司祭 ドミニコ竹内正美神父
カトリック田園調布教会に着任してはや、十年目に入りました。十年「ひと昔」と言われます。私も「昔の人」に?なったひとりです。
教会報「田園」に「帰属意識」をテーマに考えてみました。帰属意識とは「ある集団に自分が属している、その集団の一員であるという意識」を言うのだそうです。
私たちのカトリック田園調布教会の信徒数は名簿上では三千数百人以上の人々が名を連ねています。この二、三年の間に驚いた出来事がありました。二〇一一年二月に「冷暖房設置」のために、皆さんに援助依頼の手紙を出しました。
その結果は「住所不明」の印が押された手紙が何と四一一通戻ってきました。もう一つの件は二〇一四年の四旬節中に「教会維持費納入の願い」を二十歳以上の方たちに郵送しましたが、その時も二六二通が住所不明で戻ってきました。
信徒の皆さんは自分の住所変更、電話変更、転出居を教会事務所に提出しなけれぱならないことを忘れているのではないでしょうか?
一般社会の生活と同じような手続きを取っていただきたいと思います。この方々は自分がカトリック田園調布教会共同体の一員であるという帰属意識が希薄になっているのではないでしょうか?
教会は一年前「信仰年」を閉じましたが、二〇一二年十月にシノドス第十三回通常総会が開催されました。
そのテーマは「キリスト教信仰を伝えるための新しい福音宣教」でした。新しい福音宣教はすべての人に呼びかけられておられます。それは基本的に三つの領域で実行されています。
教皇フランシスコの「福音の喜び」から引用しますと、『第一に、通常の司牧の領域です。「司牧活動は、霊の火によっていっそう導かれる必要があります。それは、定期的に共同体に参加し、主の日に集まって、みことぱと永遠のいのちのパンで養われる信者の心を燃え立たせるためです」。
この司牧は、信者の成長を目指し、彼らがますますその生活全体をもって神の愛にこたえられるように方向づけられています。第二の領域は、「洗礼を受けながらも洗礼の要求することを実行していない人々」です。彼らは、教会への心からの帰属感をもってはいませんし、もはや信仰の慰めも感じていません。
教会は、つねに気遣う母親として、彼らが回心し、信仰の喜びと福音にかかわりたいという願いを取り戻すよう努めています。
最後の、イエス・キリストを知らない人、また拒み続けている人に福音を伝えることこそ、福音宣教の根本であることを改めて強調しなければなりません』と。
洗礼によって神の子となった私たちは教会共同体に属することになります。教会共同体の一員であるという帰属意識を持つことによって信仰生活をより豊かに成長することができるのです。
イエス様ご自身が「わたしはぷどうの木であり、あなた方は枝である。人がわたしのうちに留まっているなら、その人は多くの実を結ぶ。わたしを離れては、あなた方は何もすることができないからである」(ヨハネ15,5)と仰っています。
「教会はみことぱに耳を傾ける場であり、キリスト者としての生活の成長の場であり、対話、宣教、愛徳、礼拝、祭儀の場なのです」と教皇フランシスコは述べています。
教会を通してキリストと結ばれ、教会を通して秘跡に養われ、教会を通して救いの実りに与かることができるのです。
関係性がいかに大切であるか、絆がいかに大切であるか、交わりがいかに大切であるかが分かります。わたしにとって、あなたにとって帰属意識は如何なるものでしょうか?