2020年12月13日(B年)待降節第3主日 典礼について
第一朗読 イザヤ61・1-2a、10-11
わたしは主によって喜び楽しむ。
答唱詩編 ルカ1・46-55、栄唱
わたしは神をあがめ、神の救いに喜びおどる。
第二朗読 ①テサロニケ5・16-24
主の来られるとき、あなたがたの霊も魂も体も守られるように。
福音朗読 ヨハネ1・6-8、19-28
6神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。7彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。8彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
19さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、20彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。21彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。22そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」23ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。
「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。
『主の道をまっすぐにせよ』と。」
24遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。25彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、26ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。27その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」28これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。
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喜び、祈り、感謝
待降節第3主日は「喜びの主日」とも呼ばれ、救い主イエスの降誕を喜び迎える日です。
第一朗読でイザヤは、良い知らせ、自由や解放、主が恵みを与えられる日を伝えるために遣わされたと語っています。また第二朗読でパウロは「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」と伝えています。
たとえうまくいかないことがあっても、必ずイエスが来られ全てが報われる、そう確信することで喜びのうちに日々を過ごすことができます。そして、この確信は神に祈ることで深められます。祈りにより神の愛を感じとり、感謝することが喜びにつながります。
イザヤもパウロも神の救いを「伝える」ことが役割だと語っています。救いは神の業によります。自分の力ではどうにもならないことでも、神に祈り、神に全てを委ねることで、神の力により解決できると信じること、これが喜びの原点となり、神に対する、そして神の被造物に対する感謝につながります。
日々、起きる困難に不満の声をあげるのではなく、絶えず祈り、感謝し、喜びをもって生活できるよう、聖母マリアの取り次ぎを願い、祈りましょう。