2025年8月17日 C年 年間第20主日 典礼について
第一朗読 エレミヤ38・4-6、8-10
あなたは国中で争いの絶えない男であるわたしを産んだ
答唱詩編 詩編40・2+4ab、11ab+12
神のみ旨を行うことは、わたしの心の喜び。
第二朗読 ヘブライ12・1-4
自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こう
福音朗読 ルカ12・49-53
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。49「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。50しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。51あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。
52今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。
53父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれる。」
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「地上に火を投ずる」
イエスはガリラヤからエルサレムへの旅の途中で、弟子たちにイエスに従うためのさまざまな心得をお話になりましたが、本日の福音もそんな講話の一つです。
イエスは「地上に火を投ずる」という強い言葉で、イエスの教えをめぐって巻き起こる分裂の到来を予言します。当時のユダヤ人が父母を敬うことを大切にしていたことを踏まえると、大変厳しい内容とも捉えられますが、ルカ福音書がここで伝えたいことは、「イエズスの到来を通して、全く新しい価値観に基づく世界が始まり、ユダヤという一民族のための宗教から、民族の枠を超えた宗教へ、それまでの価値観が根底から覆される」とも解釈できないでしょうか?
遠く異国の地で、多くの人々が戦火に巻き込まれ、難民となり、病や飢えで命を落としている今、「平和」な国に生まれてよかった、という「平和」ではなく、わたしたちが苦しんでいる人々の叫びに耳を傾け、苦しみを生み出す悪に立ち向かう勇気をお与えください。聖母マリア、イエスのもたらす炎で、わたしたちの心を清めて下さるよう、共に祈りましょう。