2025年6月8日  C年  聖霊降臨 典礼について

第一朗読  使徒言行録2・1-11

一同は聖霊に満たされ、話しだした。

答唱詩編  詩編104・1b+24、29+30、31+34

神よ、あなたのいぶきを地のおもてに。

第二朗読  ローマ8・8-17

神の霊によって導かれる者は皆、神の子である。

福音朗読  ヨハネ14・15-16、23b-26

そのとき、イエスは弟子たちに言われた。15「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。16わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。

23bわたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。24わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。

25わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。26しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」

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聖霊を感じる

第一朗読で読まれる使徒言行録 (2) では五旬祭の日の出来事として、激しい風が吹き、使徒たちが聖霊に満たされ、様々な国の言葉で神の偉大な業を語りはじめる様子が描かれています。この日を使徒たちの宣教活動が始まった記念の日とし、わたしたちは、今日、聖霊降臨の主日を祝います。

聖霊の「聖」は「神の」という意味です。「霊」はギリシア語で「プネウマ」、ヘブライ語で「ルーアッハ」と言い、どちらも「風」や「息」を意味する言葉です。古代の人々は、目に見えない大きな力、すなわち神の力の働きを感じた時、それを「聖霊」と呼びました。

現代のわたしたちにとっても、聖霊は単なる抽象的な概念や神学的な理論ではなく、日々の生活の中で具体的に感じることができる存在です。考え方や文化、言葉の壁を越えて相互の理解と愛が生まれるとき、力のないわたしたちが神から与えられるミッションや宣教活動に一歩踏み出そうとするとき、不思議な力に支えられ、背中を押されるような息づかいを感じることができるのではないでしょうか。

主の平和の道具として働くため、わたしたちに平和の息吹を送っていただけるよう祈りましょう。

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