2024年8月25日 B年 年間第21主日 典礼について
第一朗読 ヨシュア24・1-2a、15-17、18b
わたしたちも主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。
答唱詩編 詩編34・2+3、16+18、19+23
主を仰ぎ見て、光を受けよう。主が訪れる人の顔は輝く。
第二朗読 エフェソ5・21-32
キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。
福音朗読 ヨハネ6・60-69
そのとき、60弟子たちの多くの者はイエスの話を聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」61イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。62それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば…。63命を与えるのは〝霊〟である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。64しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。65そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」
66このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。67そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。68シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。69あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」
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「あなたがたも離れて行きたいか」
本日の福音朗読箇所では、イエスが命のバンであるという重要な教えをさらに深めます。
イエスに従う者たちは、今や岐路に立たされていました。多くは「わたしは天から降ってきたパンである」(6章33-40節)、「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」(6章53節)といったイエスの言葉を理解できなかったのです。
イエスは「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である」と霊的なパンの意味を説きますが、それをなんとか理解した者はさらに混乱しました。ご自身のいのちを捧げることを暗示しているイエスの姿は、地上の解放者としてのメシア像と全く相容れなかったからです。
イエスは聞きます。「あなたがたも離れて行きたいか」と。私たちは度々この問いの前に立たされ、途方に暮れて「主よ、あなたはどうされたいのですか?」と逆に聞き返してしまいます。しかし必要なのは、主のご意思の理解ではありません。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます」と言える信仰と、それを可能にする主の恵みが得られるよう、聖霊の働きを願いましょう。