2024年8月18日 B年 年間第20主日 典礼について
第一朗読 箴言9・1-6
浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。
答唱詩編 詩編145・10+11、13ab+14、15+16
いのちあるすべてのものに、主は食物を恵まれる。
第二朗読 エフェソ5・15-20
主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。
福音朗読 ヨハネ6・51-58
そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」52それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。53イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。55わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。57生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。58これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」
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いのちを受ける
今日の福音朗読箇所は、イエスが五つのパンと二匹の魚で大群衆のお腹を満たした奇跡の後に行った説教の後半を伝えています。
イエスは「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちのうちにいのちはない」と言われます。その言葉を聞いた人々は、どうしてイエスがご自身の肉を自分たちに与えることができるのかと戸惑います。
肉と血は実体のある人間を意味しています。イエスはご自身の体を神に捧げ、そのたまものを分かち合うために、神とご自身との交わりに加わるようにと言われているのです。イエスをイスラエルの国を救い、率いる王になる方だと期待していた民衆は、さらに困惑します。しかし、イエスが与えてくださるパンは、お腹を満たすパン、国を治めるための権力や富ではありません。霊的な飢えを満たし、渇きをいやしてくださるたまものなのです。イエスの体であるご聖体をいただくことで、わたしたちは神とイエスの交わりに加わることができるのです。
ミサのたびにいただくご聖体に養われ、イエスと御父の愛に満たされたわたしたちが、父母兄弟を愛で満たすことができるよう、聖母マリアの導きを願いましょう。