2024年2月4日 B年 年間第5主日 典礼について
第一朗読 ヨブ7・1-4、6-7
わたしはいらだって夜明けを待つ。
答唱詩編 詩編147・1+2、4+5、3+6
栄光は世界に及び、すべてを越えて神は偉大。
第二朗読 ①コリント9・16-19、22-23
福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸である。
福音朗読 マルコ1・29-39
そのとき、イエスは会堂を出て、29シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。30シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。31イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。32夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。33町中の人が、戸口に集まった。34イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。
35朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。36シモンとその仲間はイエスの後を追い、37見つけると、「みんなが捜しています」と言った。38イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」39そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。
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彼女は癒され、一同をもてなした
今日の福音で、故郷のガリラヤに戻ってきたイエスは、カファルナウムの地で本格的な宣教活動を開始します。
まずシモンのしゅうとめの癒しについての短い話があります。彼女は癒され、一同をもてなしたとありますが、この「もてなす」の原語には「仕える、奉仕する」の意味もあります。これはマルコ福音書の中で、イエスの教えを示すキーワードでもあります。
「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、(中略)来たのである」(マルコ10・45)、つまりイエスはシモンのしゅうとめに仕え(癒し)、次に彼女はイエスに仕えたということになります。仕える、すなわち困難にある人に寄り添い、その人のためになることを全力で行おうとすることこそ宣教であると、イエスは説いているのでしょう。
そして、この地での宣教活動を終えると、イエスは直ちにこう言います。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。」
私たちも教会の中で互いに仕え合うばかりではなく、教会の外の人々に仕えることを求められています。見知らぬ人々に仕える勇気をもてるよう祈りましょう。