2024年2月11日 B年 年間第6主日 典礼について
第一朗読 創世記3・16-19
お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は生涯苦しむ
答唱詩編 詩編 32・5,10+11
主は豊かなあがないに満ち、いつくしみ深い。
第二朗読 一コリント10・31-11・1
わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。
福音朗読 マルコ1・40-45
40そのとき、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。41イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、42たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。43イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、44言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」45しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。
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「よろしい。清くなれ」
冒頭の皮膚病の患者とイエスの会話の箇所(40-41節)は、直訳すると「あなたが望むなら、あなたはわたしを清めることができます」「わたしは望む。清められよ」です。ここから、イエスが望まれて初めて清められる、あるいはイエスが望まれれば必ず清められるという、神の御心にすべてを委ねたこの人の強い信仰心がうかがえます。
レビ記の14章には皮膚病が治った際の取り決めがあり、祭司が皮膚の状態を見て、治っているかどうか見定め、清めの儀式を行うとされています。清めの儀式によって病が治ったことを、本人の前ではっきりと確認するのです。罪は病とは違いますが、ゆるしの秘跡もやや似ているところがあります。罪を悔い改め、神にすべてを委ねてゆるしの秘跡を受ける時、司祭は、わたしたちと神とを隔てていたものがもはやなく、きずなが回復していることを確認します。
まもなく四旬節を迎えます。悔い改めの心でゆるしの秘跡を受ける時、主は「よろしい、清くなれ」と繰り返し語りかけてくださいます。わたしたちが神とのきずなを回復し、その共同体の中に完全に受け入れられるよう、聖霊の導きを祈りましょう。