2023年6月11日 A年 キリストの聖体 典礼について
第一朗読 申命記8・2-3、14b-16a
主は、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。
答唱詩編 詩編135・12+13、14+15、18+19
主をたたえよう。主はいつくしみ深く、そのあわれみは永遠。
第二朗読 ①コリント10・16-17
パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体である。
福音朗読 ヨハネ6・51-58
そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。51「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
52それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。53イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。55わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。57生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。58これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」
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「わたしは命のパンである」
今日読まれる福音は、イエスを追ってきた5千人以上の人々に、パンと魚を増やし与えた奇跡で始まりまるヨハネ福音書6章のまとめとなるイエスの言葉です。
イエスは「わたしが与えるパン」は「わたしの肉」であり「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」と言われます。イエスの肉と血をいただくことでイエスと一体となれ、イエスと御父の愛の交わりに招かれ、相互の愛の賜物を受けることができるということです。
ミサの中で司祭は次のように唱えます。
「まことに聖なる神、すべての聖性の源である父よ、いま聖霊を注ぎ、この供え物を聖なるものとしてください。わたしたちのために、主イエス・キリストの御からだと御血になりますように。」
その言葉にあるように、御父が遣わされた聖霊がパンとぶどう酒に命を宿らせてくださり、このご聖体を通じてイエスの命を体に宿らせることができ、イエスと一体となることができるのです。
聖霊を通じてイエスが与えてくださるこの賜物を心から「アーメン」と唱え受けることができるよう、聖母マリアの助けを願いましょう。