2023年4月23日 A年 復活節 第3主日 典礼について
第一朗読 使徒言行録2・14、22-33
イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかった。
答唱詩編 詩編16・8、10、11
しあわせな人、神の恵みを受け、その喜びに生きる人。
第二朗読 ①ペトロ1・17-21
あなたがたが腰われたのは、汚れのない小羊のようなキリストの尊い血による。
福音朗読 ルカ24・13-35
13この日、すなわち週の初めの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、14この一切の出来事について話し合っていた。15話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。16しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。17イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。18その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」19イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。20それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。21わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。22ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、23遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。24仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」25そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、26メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」27そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。
28一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。29二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。30一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。31すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。32二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。33そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、34本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。35二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
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夕暮れのエマオへの道
今日の福音朗読は、復活の朝エマオへ向かう二人の弟子に、イエスが出現されたことを伝える有名なエピソードです。二人にとっては、イエスが処刑された混乱の中、エルサレムからあわただしく逃れる失意の旅でした。弟子たちは、いつのまにかイエスご自身が近づいてきて一緒に歩き始められても、その人と気づきません。とうとうエマオについて食卓をともにし、イエスがパンを裂いた瞬間「二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」(31節)のでした。
人生には、失意のあまり現実から目をそむけ、ただあてどなく「ああすればよかった、こうなればよかった」と考えをさまよわせてしまうことがままあります。しかし、わたしたちは気づいていませんが、イエスはすぐ傍らで寄り添って下さっています。そして後から「ああ、あの時一緒にいて下さったのだ」ときづくことになるのです。
イエスの姿が見えなくなっても、その死と復活を受け入れ、エルサレムへと力強く帰っていった弟子たちにとって、夕暮れのエマオへの道の情景は美しいものであったでしょう。わたしたちも、心が燃えるような信仰の体験ができるよう、祈りたいと思います。