2022年8月14日 C年 年間第20主日 典礼について
第一朗読 エレミヤ38・4-6、8-10
あなたは国中で争いの絶えない男であるわたしを産んだ
答唱詩編 詩編40・2+4ab、11ab+12
神のみ旨を行うことは、わたしの心の喜び。
第二朗読 ヘブライ12・1-4
自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こう
福音朗読 ルカ12・49-53
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。49「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。50しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。51あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。
52今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。
53父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれる。」
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「地上に火を投ずる」
イエスはガリラヤからエルサレムへの旅の途中で、弟子たちにイエスに従うためのさまざまな心得をお話になりましたが、本日の福音もそんな講話の一つです。
イエスは、「地上に火を投ずる」という強い言葉で、イエスの教えをめぐって巻き起こる分裂の到来を予言します。そしてこの分裂は、ありとあらゆる人間の集まりの中で起こりますが、家族という最も絆の強い最小の集まりの中でさえ起こりうることを、たとえを使ってお示しになります。イエスが求める真の「平和」とは、心の平安とか、日々の平穏無事のことではありません。自分さえ、あるいは、自分たちさえよければと考え、他の人々の苦しみを無視することで成り立つ「平和」には、むしろ火を投じなければなりません。遠く異国の地で、多くの人々が戦火に巻き込まれ、難民となり、病や飢えで命を落としている今、「平和」な国に生まれてよかった、というような意味での「平和」を、神は望んでいません。
聖母マリア、イエスのもたらす炎で、わたしたちの心を清めてください。そうして、わたしたちが苦しんでいる人々の叫びに耳を傾け、苦しみを生み出す悪に立ち向かう勇気をお与えください。