2022年4月3日 (C年) 四旬節第5主日 典礼について

第一朗読  イザヤ4316-21

見よ、新しい事をわたしは行う。わたしはわたしの民に水を飲ませる。

答唱詩編  詩編1261+2ab2cd+34+6

涙のうちに種まく人は、喜びのうちに刈り取る。

第二朗読  フィリピ38-14

わたしはキリストの死の姿にあやかりながら、キリストのゆえにすべてを失った。

福音朗読  ヨハネ81-11

そのとき、1イエスはオリーブ山へ行かれた。2朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。3そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、4イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。5こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」6イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。7しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」8そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。9これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。10イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」11女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」

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罪とゆるし

今日の福音は、イエスと、姦通の罪を犯した女の話です。当時、既婚女性が夫以外の男性と性的関係をもつことは死に値する重罪でした。福音記者は、律法学者たちやファリサイ派の人々が、正義と残酷な刑罰の板挟みになって、イエスが回答に窮するよう仕組んだと書いています。

現代に生きるわたしたちも、他人に対して自分の正義を行使したいという思いを強く抱く時が、少なからずあります。しかしイエスは言います。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」。神の前で罪を犯したことのない人などいないので、他人の罪を裁こうとする人は、自分自身の罪をも裁くことになります。他人を赦すことができない人は、自分自身を赦すこともできません。そうして、わたしたちはその場をすごすごと立ち去るよりほかないのです。

イエスは最後に一人残った女性の罪を赦し、二度と同じ過ちを犯さないよう言い含めました。わたしたちもこの女性と同様に、自分の弱さ、不完全さを直視し、神からゆるしを受けることで自分自身と和解することができますように。そして、他人を赦せるようになりますように。

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