2022年11月6日  C年  年間第32主日 典礼について

第一朗読  ②マカバイ71-29-14

世界の王は、我々を永遠の命へとよみがえらせてくださる

答唱詩編  詩編171+23+513ab+15

主は豊かなあがないに満ち、いつくしみ深い。

第二朗読  ②テサロニケ216-35

神があなたがたを強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように

福音朗読  ルカ2027-38

そのとき、27復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。28「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。29ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。30次男、31三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。32最後にその女も死にました。33すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」

34イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、35次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。36この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。37死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。38神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」

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この世のいのちと復活のいのち

今週から始まる年間第3233主日と「王であるキリスト」の主日は、「終末主日」と呼ばれ、「世の終わり」や個人の終わりである「死」に思いを馳せる時とされています。

ユダヤ人にはもともと死者の復活の考えがなく、人は死ぬと「シェオール=陰府(よみ)」と呼ばれるところに行って、死んだ先祖の列に加えられる、と考えていたようです。そうした考えのもと、サドカイ派の人々は、死別と再婚を繰り返した人たちの婚姻関係は、復活後どうなるのかと問います。

イエスは、復活した人たちは「めとることも嫁ぐこともない」「天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである」とお答えになります。復活のいのちは、この世とは全く次元の違ういのちなのだ、だからこの世のいのちの延長線上で考えてはいけない、ということなのでしょう。

イエスはこれ以上を語られていませんが、カトリック教会は「結婚は、人間を愛の完成に近づける意味で本質的によいものであり、婚姻の絆は、復活のときに解消されるのではなく、さらに高い段階へと移ってゆく」と教えています。

信仰宣言の終わりにはっきりと告白する「からだの復活、永遠のいのちを信じます(使徒信条)」という言葉をかみしめつつ、毎日を生きることができますように。

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