2022年11月27日 A年 待降節第1主日 典礼について
第一朗読 イザヤ2・1-5
神はすべての民を御国の永遠の平和に招かれる。
答唱詩編 詩編122・1+2、3+4ab、4cd+5
わたしたちは神の民、そのまきばの群れ。
第二朗読 ローマ13・11-14a
救いは近づいている。
福音朗読 マタイ24・37-44
そのとき、37イエスは弟子たちに言われた。「人の子が来るのは、ノアの時と同じである。38洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。39そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。40そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。41二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。42だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。43このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。44だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
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「目を覚ましていなさい」
今日、待降節第1主日から新しい典礼歴が始まります。聖書の朗読は3年周期のA年にあたり、福音朗読は主にマタイ福音書が読まれます。
今日の朗読箇所は「目を覚ましていなさい」という言葉で始まります。この言葉は信仰に目を覚ましていること、今日の朗読箇所に続くたとえでイエスが語っているように、与えられた命、時間を大切に使い、神の御旨に従い信仰の道を歩んでいくことを意味しています。
使徒信条でわたしたちは「主」が「生者と死者を裁くために来られ」ることを信じると宣言しています。その日がいつ来るかわからなくても、必ず来ると信じることで「目を覚まして」信仰の日々を送ることができます。
イエスは、加えて二人の男、二人の女が同じように働いていても神はその人たちの間の違いを見極め裁くことができると教えています。外見だけ繕っていても心が神から離れた生活をしていれば救われないことを肝に銘じておく必要があるのではないでしょうか。
キリストの復活を信じ、待ち望んでいるわたしたちが、神の愛の中に生きていくことができるよう、聖霊の導きを願いましょう。