2022年10月2日  C年  年間第27主日 典礼について

第一朗読  ハバクク12-322-4

神に従う人は信仰によって生きる

答唱詩編  詩編951+25+67+8

神に向かって喜び歌い、感謝の歌をささげよう。

第二朗読  テモテ16-813-14

わたしたちの主を証しすることを、恥じてはならない

福音朗読  ルカ175-10

5使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、6主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。

7あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。8むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。9命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。10あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」

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信仰と奉仕

今日読まれるマタイ福音書 (17-5) で使徒たちが自分達の信仰を増やしてくださるようにイエスに嘆願します。この直前の箇所 (17-4) でイエスは人が七回罪を犯しても七回悔い改めるのであれば赦すようにと教えていましたので、使徒たちは、七回も赦す自信がなく、もっと信仰を深める必要があると感じたのでしょう。

しかし、イエスは小さな信仰でもそれがあれば根の張った桑の木を動かすこともできると、人を赦すために必要なのは信仰の量ではない、信仰は量で測るものではないことを教えます。より多くの見返りを期待して信仰を増やそうとすることは逆に神を遠ざけます。本当に必要なことは計り知れない神の力に寄り頼む純粋さなのです。

朗読では、続けて、奉仕に見返りを期待しないこと、常に「取るに足りない僕」として「しなければならないことをしただけ」という謙虚な態度が必要であるというイエスの言葉が読まれます。

自らの限界を知り、全てを神に委ね、報酬を求めず、日々、自分のなすべきことを精一杯行えるよう、聖霊の導きを願いましょう。

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