2021年3月21日 (B年) 四旬節第5主日 典礼について

第一朗読  エレミヤ3131-34

わたしはイスラエルの家と新しい契約を結び、彼らの罪に心を留めることはない。

答唱詩編  詩編513+412+1314+15

あなたのいぶきを受けて、わたしは新しくなる。

第二朗読  ヘブライ57-9

キリストは従順を学び、永遠の救いの源となられた。

福音朗読  ヨハネ1220-33

20さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。21彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。22フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。23イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。24はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。25自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。26わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。

27「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。28父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」29そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。30イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。31今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。32わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」33イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。

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一粒の麦

ヨハネ福音書において、受難を前にしたイエスは「一粒の麦」のたとえを語ります。現代的に言えば、地に落ちた麦はもちろん死ぬわけではありません。しかし、麦粒は麦粒であることを守ろうとすれば、一つの麦粒のままです。麦粒が自分を壊し大地とつながってこそ、豊かに実を結ぶことができます。直接的には、イエスが十字架にかけられて死に、復活して主の栄光を示されることを意味していますが、イエスに従うための生き方として、私たちに明示された言葉でもあります。

「命を愛する」は、自分の姿を守りそのままでいようとすること。「命を憎む」は、今ある自分は壊すことになるが、もっと大きな神のみ旨に従って生きていくこと。自分自身に死んで、神のみ旨のままに謙虚な心で生きるとき、私たちの人生は豊かな実りで満たされるということでしょう。

イエスですら「今、わたしは心騒ぐ」と言うのに、不完全で弱い私たちが「地に落ちて死ぬ」かどうかの局面にあって、動揺しない訳がありません。その時正しい選択ができるよう、御父に祈りたいと思います。

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