2021年2月7日(B年)年間第5主日 典礼について
第一朗読 ヨブ7・1-4、6-7
わたしはいらだって夜明けを待つ。
答唱詩編 詩編147・1+2、4+5、3+6
栄光は世界に及び、すべてを越えて神は偉大。
第二朗読 ①コリント9・16-19、22-23
福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸である。
福音朗読 マルコ1・29-39
そのとき、イエスは会堂を出て、29シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。30シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。31イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。32夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。33町中の人が、戸口に集まった。34イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。
35朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。36シモンとその仲間はイエスの後を追い、37見つけると、「みんなが捜しています」と言った。38イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」39そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。
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彼女は癒され、一同をもてなした
今日の福音で、故郷のガリラヤに戻ってきたイエスは、カファルナウムの地で本格的な宣教活動を開始します。
まずシモンのしゅうとめの癒しについての短い話があります。彼女は癒され、一同をもてなしたとありますが、この「もてなす」の原語には「仕える、奉仕する」の意味もあります。これはマルコ福音書の中で、イエスの教えを示すキーワードでもあります。
人の子は仕えられるためではなく仕えるために、(中略)来たのである(マルコ10・45)、つまりイエスはシモンのしゅうとめに仕え(癒し)、次に彼女はイエスに仕えたということになります。仕える、すなわち困難にある人に寄り添い、その人のためになることを全力で行おうとすることこそ、宣教であるとイエスは説いているのでしょう。
そして、この地での宣教活動を終えると、イエスは直ちにこう言います。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。」
私たちも教会の中で互いに仕え合うばかりではなく、教会の外の人々に仕えることを求められています。見知らぬ人々に仕える勇気をもてるよう祈りましょう。