2021年1月31日(B年)年間第4主日 典礼について
第一朗読 申命記18・15-20
わたしは預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける。
答唱詩編 詩編95・1+2、5+6、7+8
神に向かって喜び歌い、感謝の歌をささげよう。
第二朗読 ①コリント7・32-35
未婚の女は、聖なる者になろうとして主のことに心を遣う。
福音朗読 マルコ1・21-28
21イエスは、安息日にカファルナウムの会堂に入って教え始められた。22人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。23そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。24「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」25イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、26汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。27人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」28イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。
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真の権威
イエスは真の権威を持っている―これが今日の朗読から明確に発せられているメッセージです。マルコは、イエスの力強い「権威ある者として」の言葉と、悪霊を打ち負かす行動において、奇跡の意味を捉え直しています。イエスは権威ある言葉、教えを告げられますが、同時にご自分の行動においてもそれを示されます。つまり、悪に対決し、悪から人々を解放し、真のしあわせを説き、実現するものでした。人びとはイエスの「み言葉と行動」という真の権威に驚かされたのです。
奇跡は単なる不思議な出来事の記録ではなく、イエスの活動の意味や目的をはっきりさせるために書かれています。今回は、汚れた霊に取りつかれた一人の男の話しですが、私たちのエゴイズムから来る貧富の差、暴力、不正などにみられる、悪霊に取りつかれた現代社会にも同じことが当てはまるでしょう。
イエスの奇跡話を、福音のメッセージとして読み取り、御子イエスのみ言葉を「最も権威あるもの」として聞くことができるよう、傾聴のおとめマリアの助けを願いましょう。