2021年7月18日 (B年) 年間第16主日 典礼について

第一朗読  エレミヤ23・1-6

彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。

答唱詩編  詩編23・2+3、4、6

主はわれらの牧者、わたしは乏しいことがない。

第二朗読  エフェソ2・13-18

実に、キリストはわたしたちの平和であります。

福音朗読  マルコ6・30-34

そのとき、30使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。31イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。32そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。33ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。34イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。

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牧者であるキリストに倣う

今週の聖書の第一朗読にあるように、かつて、イスラエルの王は主の羊の群れを顧みませんでした。しかし、福音の朗読箇所の終わりの一文にあるように、イエスは「大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められ」ます。しかも、これは宣教活動から戻ったばかりの疲れた使徒たちを休ませようとした時のことです。そのような時でもイエスは羊の群れを顧みてくださるのです。

来週は、この続きの話がヨハネによる福音から読まれます。イエスは集まった群衆にパンを与えます。ミサで言えば、今週の朗読箇所が「ことばの典礼」であり、来週の朗読箇所が「感謝の典礼」にあたると言えるかもしれません。

日々のことで心が乱れがちなわたしたちも、ともにミサを捧げ、神の言葉を聞き、御聖体をいただくことで、牧者であるイエスに向き合い、心を整えて新たな一週間を始めることができます。そのように心をイエスに向けることができれば、わたしたちもイエスや使徒たちと同じように、隣人を顧みてその重荷を担うことができるのではないでしょうか。

ともにミサを捧げることでその力をいただくことができるよう、聖霊の助けを願いましょう。

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