2020年11月22日(A年)王であるキリスト 典礼について

第一朗読  エゼキエル3411-1215-17

見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。

答唱詩編  詩編232+356

主はわれらの牧者、わたしは乏しいことがない。

第二朗読  ①コリント1520-2628

キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。

福音朗読  マタイ2531-46

そのとき、イエスは弟子たちに言われた。31「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。32そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、33羊を右に、山羊を左に置く。34そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。35お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、36裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』37すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。38いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。39いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』40そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

41それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。42お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、43旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』44すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』45そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』46こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

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行いによる信仰

典礼歴の最後の主日のこの日、私たちは「王であるキリスト」の祭日を祝います。マタイはこの日の福音で最後の審判の様子を生き生きと描いていますが、これは神の目から見て何が決定的に大切なのか、私たち自身の生き方をはっきりと示すためのものです。

何を規準に、キリストは私たちの一生をはかられるのでしょうか。何がキリストの前に価値があるのでしょうか。それは、正しい考えや信仰を持つことなどではなく、目の前の苦しむ人に、心からでた愛の業を生きたかどうか、という唯ひとつのことだけが基準だということです。

イエスはすべての国の人々を裁くために、世の終わりに来られますが、イエスは毎日、さまざまなかたちでわたしたちのもとに来て、ご自分を受け入れるよう求めておられます。日々の生活の中でイエスの呼び声にしっかり応え、心と生き方と行動で、イエスの愛の業に倣うことができるよう、聖霊の導きを願いましょう。

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