2020年11月1日(A年)諸聖人の祭日 典礼について

第一朗読  黙示録72-49-14

わたしは、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆を見た。

答唱詩編  詩編241+23+45+6

門よ、とびらを開け、永遠の戸よ、上がれ。栄光の王が入る。

第二朗読  ヨハネ31-3

わたしたちは御子をありのままに見る

福音朗読  マタイ51-12a

そのとき、1イエスは群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。2そこで、イエスは口を開き、教えられた。

3「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

4悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。

5柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。

6義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。

7憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。

8心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。

9平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

10義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

11わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。12a喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」

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神の国で優先されるもの

この日の福音では、イエスの「山上の説教」の冒頭の「八つの幸い(真福八端)」が読まれます。神の国は、お金、成功、権力といったこの世の優先順位や価値観とは異なっており、イエスは、本当に正しい道を歩む人々は、神により頼み、自らの生活のために神が優先するものを探し求めるのだ、と教えているのです。

「心の貧しい」は物質的な面だけでなく、神の前に飢え渇く人間の姿を示しており、フランシスコ会訳聖書は「自分の貧しさを知る人」と訳しています。現代の私たちにとって「心の貧しい人」とは、自分自身や物的な富に頼ることも、自分の意見に固執することもせずに、敬意をもって他の人の意見に耳を傾けるキリスト者、と言えるでしょう。

この日に祝う聖人たちは、十字架の道のりをたどって勝利の祝福を得られたキリストに倣って真福八端を生きた人々であり、私たちもそれに倣うことができるよう、聖母マリアの取り次ぎを願いましょう。

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