2020年10月18日(A年)年間 第29主日 典礼について

第一朗読  イザヤ4514-6

わたしはキュロスの右の手を固く取り、国々を彼に従わせる。

答唱詩編  詩編963+47+89+13

遠く地の果てまで、すべての者が神の救いを見た。

第二朗読  ①テサロニケ11-5b

あなたがたの信仰と愛と希望を、わたしたちは心に留めている。

福音朗読  マタイ2215-21

そのとき、15ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。16そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。17ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」18イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。19税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、20イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。21彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」

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神に返す

マタイが記すこの話しは、ファリサイ派の人々が考えついたイエスを罠にかけるための完璧な質問に、イエスが「適っていない」と答えればローマへの反逆者として訴えられ、「適っている」となると弟子たちは裏切り者としてイエスを見捨てる、という構図です。

罠に気付いているイエスは、硬貨の肖像と銘を尋ねます。そして、彼らがローマ人に訴える証拠を与えず、弟子たちにも納得のいく見事な答え、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と返されたのです。

「神のもの」とは一体何でしょうか? それは、神の似姿として創造され、神の愛が宿っている、「私たち人間の心」と言えるでしょう。

私たちは、この世の富や権力、栄光を求めて自分の人生を皇帝に捧げてしまうことなく、全てにおいて神を優先し、愛の行いで私たち自身を神にお返しすることができるのだ、ということを忘れないようにしたいと思います。

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