2020年10月11日(A年)年間 第28主日 典礼について

第一朗読  イザヤ256-10a

悪人が自分の行った悪から離れるなら、彼は自分の命を救うことができる。

答唱詩編  詩編232+356

主はわれらの牧者、わたしは乏しいことがない。

第二朗読 フィリピ412-1419-20

わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能である。

福音朗読 マタイ221-14

そのとき、1イエスは祭司長や民の長老たちにたとえを用いて語られた。2「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。3王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。4そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』5しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、6また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。7そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。8そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。9だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』10そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。11王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。12王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、13王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』14招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」

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この日の福音のたとえ話で、マタイは教会に招かれた人々のことを考えているようです。王から最初に招かれた人々は、その素晴らしさ、ありがたさを本当には分かっていなかったのでしょう。今のわたしたちは神からの招きをどう感じているでしょうか。それが素晴らしい招きであること、どれほど大きな恵みなのか、分かっているでしょうか。

次に招かれた人々には善人も悪人もいたことに注目しましょう。神は、善人も悪人も分け隔てなく招かれます。すべての人が機会を与えられているのです。ただし、一つ、条件があります。婚礼の衣装を着ること、すなわち、神と隣人への具体的な愛をあかしすることが必要なのです。

イエスは今でも私たちを、神との深い愛の交わりに招き続けておられます。この素晴らしい招きに、ふさわしく応えることができるよう、聖母マリアの取り次ぎを願いましょう。

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