(3)回心について
(3)回心について
先週は「入祭の歌と行列」について学びました。
今回は「回心の祈りについて学びます。
司式者と会衆が挨拶を交わした後、「皆さん、神聖な祭りを祝う前に私たちの犯した罪を認めましょう」と回心へと招かれます。
聖書に次のように述べています。「あなたが祭壇に供え物を捧げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰ってきて、供え物を捧げなさい」(マタイ5,23-24)というイエスの言葉のように、人々は自らの行いを反省し、罪の赦しを神と兄弟姉妹に願うのです。
第二バチカン公会議以前は、司祭が「会衆のために」相応しくミサを捧げることが出来るようにと、司祭が侍者を伴い個人的に祭壇の前で祈る「階段祈祷」と呼ばれる個所でありました。しかし第二バチカン公会議の典礼刷新では、ミサは司祭も「会衆と共に」祝う祭儀であるという行動的参加により、共同体全体が行うものとして基本形としては以下のように構成されました。
- 司祭の招きの言葉
- ひと時の沈黙「各自が心を自己に向けるため」
- 共同で唱える回心の祈り
- 神に赦しを願う司祭の祈り
- 会衆の同意の応答「アーメン」
罪の告白には三つの形式があります。第一形式は、神だけでなく兄弟姉妹に対しても罪を告白することを宣言します。一人一人が互いに罪を告白し、赦しを祈り合う共同体の姿が明らかになります。また、わたしたちの罪や過ちが持つ社会的、共同体的な側面にも光が当てられます。このことは、「思い、ことば、行いによって」という従来用いられていた表現に「怠り」が加えられたことからも分かるのではないでしょうか。
なすべきことをしなかった自分自身の怠りを省みることによって、一人一人が社会や共同体に対して担っている責任を思い起こすことが出来るのです。
そして、弱く罪深い自分自身のために、共同体の仲間が神に祈ってくれるよう願います。この第一形式は、「主に癒していただくために、罪を告白しあい、互いのために祈る」内容になっています。
第二形式、第三形式は割愛させていただきます。