田園6月号 巻頭言
信仰を守り抜いた歴史
主任司祭 ドミニコ 竹内正美神父
二〇一三年四月二十八日に発行されたカトリック新聞に教皇フランシスコが説教の中で日本の教会に言及したことが述べられていました。以下の通りです。
十七世紀に宣教師たちが追放された後、二世紀にわたって信仰を守り抜いた日本のカトリック信者の歴史にも触れた。ようやく、宣教師たちが戻ることを許された時、彼らが見出しだのは「全く秩序を保った共同体、教会で洗礼を受け、教えを受けて、結婚もした人々だったのです」と語った。
教皇は今日の一般信徒には「洗礼の力」からあふれ出る信仰が同じようにあるだろうか、と疑問を呈した。
「私たちはこのことを信じているでしょうか?洗礼だけで十分、宣教するには十分だということを」と教皇は問い掛けています。洗礼を受けた全ての人は「私たちの生き方で、私たちの証しで、イエスを告げ知らせなければならない」と強調しています。
教皇フランシスコは一八六五年三月十七日大浦天主堂で「キリシタン発見」がなされたことを取り上げての言葉だと思います。
当時「フランス寺」と呼ばれていた大浦天主堂に見物人が大勢来ていましたが、客に紛れ込んで浦上の隠れキリシタンたちがやって来ました。
聖堂内で祈るプチジャン神父に近づき「ワタシノムネ、アナタトオナジ」つまり「私たちもあなたと同じ信仰を持っています」と信仰告白した後、「サンタ・マリアの御像はどこ」と尋ねました。
こうしてプチジャン神父によってキリスト信者が発見されたのです。
この人々はキリスト教への厳しい弾圧を不屈の信仰を持って耐え忍んできた人々の子孫でした。
見出した者と見出された者。両者の間に横たわる時間の長さ。果てしない距離。自らの信仰を表向き封じることに徹してきた隠れキリシタンにとって何世代にもわたって待ち望んだ「信仰告白」は大いなる解放であったことでしよう。
「再び見出された」ことへの歓喜と感謝の思いがどれはどのものであったでしようか?
「二五〇年七代にわたる長く厳しい禁放下で親から子へ、子から孫へと密かに信仰の灯をともし続けた人々がいたことを見出したこの驚くべき出来事は「信仰発見」と言われ、宗教史上の奇跡とまで言われています」(キリスト教人物伝より)。
信仰において私たちの諸先輩たちは血のにじむような思いで信仰を守り、信仰を伝えてこられました。その結果、多くの信徒が信仰のために尊いいのちを捧げられたのです。
ヘブライ人への手紙を思いだします。「あなた方は、ご自分に対する罪人たちの、これほどひどい反抗を耐え忍ばれたイエスを思い起こしなさい。それは、あなた方の心が弱り、疲れ果てることのないためです」(ヘブライ人への手紙12,3)
私たちは信仰の歩みの中で元気を失うことがあります。そのような時、イエス様はご自分が正しい方なのに、罪人の罵りを受けられました。このことを考えて、元気を出しなさい。イエス様が罪人の反抗を忍ばれたのです。信仰に踏みとどまりなさい。
「あなた方は、罪と戦っていますが、まだ血を流すほどの抵抗をしたことはありません」
(ヘブライ人への手紙12,4)キリストは罪人の反抗をしのばれて、血を流されました。私たちは信仰生活を送っていますが、「あなた方は信仰を生き抜くために血を流すほどの抵抗をしたことがないでしょう」と聖パウロはわたしたちに問うています。
耳の痛い言葉ではないでしょうか?今の時代に教会へ行かない人、行けない人、行きたくない人を「仕方がないことだ」と言って片付けてしまっていいのでしょうか?家族の中で両親は息子さんや、娘さんに教会への呼びかけをしているでしょうか?信仰についての助言をなしているでしょうか?もの申す時期はすでに遠のいてしまったのでしょうか?
今こそ信徒一人一人が信仰について考え、家族の中で考え、教会共同体として考えていかなければならないと思います。まさに信仰年は新たなキリストとの出会いであり、福音化されることであり、回心へと導かれるときなのです。
最後に(ベネディクト十六世「世界代表司教会議第十八回通常総会ミサ説教(二〇一二年一〇月七日)」を記述して終わります。
新しい福音宣教は「洗礼を受けながら、教会から離れ、キリスト数的生活を送っていない人々におもに向けられます。
それは、これらの人々があらためて主と出会う助けとなるためです。主のみが、わたしたちの生活を深い意味と平和で満たしてくださるからです。またそれは、信仰を再発見させるためです。信仰こそが、個人と家庭と社会の生活に熹びと希望をもたらす源泉だからです」と。