田園2019年8月号 巻頭言

田園2019年8月号 巻頭言

 

平和を願って

協力司祭 トマス小平正壽神父

 

20世紀はよく戦争の時代だったといわれ、沢山の尊い生命が、失われていきました。そのような歴史の中に、私たちは生き
てきたのです。わたしはローマでの留学時代にポーランドのアウシュビッツを訪ねましたが、広大な野に当時のままに残っていました。

1981年に来日した故聖ョハネ・バウロニ世は広島での平和のメッセージの中で「戦争は人間の仕業です。戦争は生命の破壊です。戦争は死です」と述べられました。

主のみ言葉は、確実に、本当の平和に繋がる道を示し続けているのです。どのように応答するのかが、問われているのです。

み言葉を、今、どのように語らなくてはいけないのでしょうか? 教会が、その言葉から、どんな応答をして生きていかなくて
はいけないのでしょうか? 敵意に満ち、殺戮と報復の世界の真只中に生きる教会として、歴史に学び、繰り返すことのない歩みを見極めなくてはいけないのでしょう。

平和とは、戦争や戦闘がなく、社会秩序が保たれている状況をさす(国語の辞典)とありますが、それは、次に起きる闘いまで
の時間でしかなく、完全な平和(シャローム)にはなりえないのでしょう。力を持って、力による均衡から、生まれてくる平和
も、均衡が崩れる度に、闘いの世界へと投げ込まれる事を、私たちは知っています。

イエス・キリストが、「これはあなたがたのために渡されるわたしのからだです。これをわたしの記念として行いなさい」と、パンを裂いて渡だされた意味を、真剣に捉え直していかなくてはいけないのです。平和と言いながら、神を必要としない生き方をしてきた人類にとって、キリストの十字架の下にたたずみ、神から差し出された爰に応答していかねばなりません。これしか神との、そして人間同士の和解への道は、ないことを受け止めて行きたいと心から願うのです。

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