田園2019年5月号 巻頭言
田園2019年5月号 巻頭言
自分の言葉で
協力司祭 トマス小平正寿神父
ご復活の喜びのうちに、聖母月を迎えました。「五月の(さつき)のきさき(妃)をよろこびうたい・・」とカトリック聖歌集にあるのを思い出しました。
さて、有名な場面としてキリスト者の心に刻まれているように、復活の主と向かいあったペテロは、主がとらえられようとしたときに三度も主を否定したことを思い出して、真正面から、主イエスの顔を見ることができなかったのではないでしょうか。どんな風に切り出していこうか?心からお詫びしたいと、願いながらも、言葉にする勇気がなかったのではないでしょうか。そこに、イエス様の方から切り出します。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」反射的に「はい、主よ、私があなたを愛することは、あなたがご存じです」と答えるペテロ。
あなたはわたしを爰しますか」と、いままで、慣れ親しんでいたペテロと言わず、弟子になる前の名前で、自分をお呼びになるイエス様の前に、三度も、イエス様を知らないと、否定した場面を再び思い浮かべ、打ちひしがれるのです。「主のためには、いのちも捨てます。」と、自らの勇気と愛に自信を持ち、他の弟子たちよりも自分の愛の方が大きいと自負していても、結局の
ところ、自分可愛さに主を否定した結果になってしまったのでした。
三度も否定した言葉を、丁寧に二重線を引いて訂正印を押すような作業を、主イエスの呼びかけに応じるというやり方で、主が、行わせてくださったのでした。「あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」と自らが言葉を重ねることによって、ペテロは、自分だけでは消し去ることのできない過去を、主の贖いと復活の出来事によって取り戻していくことができたのです。
主イエス・キリストの言葉が、ペテロに届けられます。「これからも、私の羊を牧しなさい」と。主による消えることのない真の平安が、ペテロに与えられた瞬間です。
わたしたちもまた、消すことのできない過去を引きずりながら、歩んでいるのではないでしょうか? しかし、主の呼びかけに答え、自らの言葉で、主を愛すると言うことができたとき、自らの弱さを自覚し、人と比べることなしに、主が御自ら示してくださった愛に生きることができるのです。