田園2019年12月号 巻頭言

田園2019年12月号 巻頭言

 

神への応答として頂く救い

協力司祭 トマス小平正寿神父

 

今年も終わりに近づきました。神に感謝します。神はこの一年も私だちと共にいてくださいました。わたしたちは皆、キリストによって神に愛されています。

ザアカイヘのキリストの言葉を思い出しましょう。「ザアカイ、降りてきなさい。きよう、わたしは、あなたのところに泊まります」。

周りの群衆は驚きました。ザアカイは徴税人の頭(かしら)だったからです。人々が思うようにもしザアカイが本当の悪人であったら、どうして、無花果菜の木の上にまで登ってキリストを見たいと思ったのでしょうか?それこそ、家の奥に閉じこもって早くキリストなんか通り過ぎて行ってしまえばよいと思ったのではないでしょうか?
しかし誰にでも心の渇きがあります。愛されたい、認められたい、友達が欲しい・・・など、など。

周りの人々からは滅びるのにふさわしいと思われる人にも愛の手を差し伸べてくださる神がいます。救われた者にとって、それは死から命に至らせる恵みの香りです。キリストはおっしゃいました。「私のところに来るものを私はだれも追い返さないと」。

2コリントの1:3〜5には次のようにあります。「わたしたちの主イエス・キリストの父である神、あわれみ深い父、あらゆる慰めの源である神にはめたたえられますように。

神は、わたしたちが、どのような苦難にあるときでもわたしたちを慰めてくださいます。
それで、わたしたちも、自分たちが神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができるのです。キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。」

このような救いの務めにあずかることができたらいいですね。

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