田園2018年9・10月号 巻頭言
田園2018年9・10月号 巻頭言
感謝の祭儀
助任司祭 アウグストヌス桑田拓治神父
先日、侍者会の半日研修会がありました。
その中で感謝の祭儀に関して色々と学んだのですが、「ミサ」の意味を意外と知りませんでした。
ミサの語源はラテン語の閉祭の言葉「ite missa est」を語源としています。これは「感謝の祭儀は捧げられた、行きなさい」と訳すことが出来ると思います。今回の巻頭言で侍者たちが勉強した内容を簡単にまとめてみたいと思います。
感謝の祭儀は幾つかの部分に分けることが出来ます。感謝の祭儀の流れから見ていくと「開祭の儀」「言葉の典礼」「感謝の典礼」「交わりの儀」「閉祭の儀」から構成されていることが分かります。
「開祭の儀」全会衆はこれから始まる感謝の祭儀に心を向け、司祭と奉仕者たちが入堂するのを迎えます。
入祭の挨拶では司祭と会衆の応唱によって主の現存が示され、共に集められた教会の神秘を示します。回心の祈りとあわれみの賛歌で感謝の祭儀に相応しい心を準備し、栄光の賛歌で神をたたえ、栄光を帰します。集会祈願はこれから捧げられるミサの意向を明らかにする大切な折りであり、司祭の祈りに会衆はアーメン」と応えることでその折りを自らのものとします。
「言葉の典礼」聖書の言葉を中心とした典礼で、語られるみ言葉のうちに神が現存しておられます。聖書の言葉に耳を傾け、答唱詩編によって神に感謝を捧げます。言葉の典礼は旧約聖書の第一朗読、答唱詩編、使徒書の第二朗読、アレルヤ唱、福音朗読、説教、信仰宣言、共同祈願で構成されています。基本的に神の言葉に耳を傾けそれに応える構造になっており、朗読台を中心に典礼が進行して行きます。
「感謝の典礼」祭壇を中心に最後の晩餐の記念であり、私たちの贖いの生贅であるイエス・キリストの御体と御血を御父に捧げるエウ力リスティアが行われます。聖変化されたパンとブドウ酒の形色のうちに、イエス・キリストが現存しておられるのであり、このことを実体変化と呼びます。この記念において教会は聖霊の働きを通して汚れなき生贅を御父に捧げます。しかしそれだけにとどまらず、キリスト者一人ひとりが自分自身を捧げることを学び、日々神との一致と相互の一致の完成に向かい、ついには神が全てにおいてすべてとなることをミサは目的としています。この典礼の構成を説明し始めると紙面が足りませんので、実際にミサを共に捧げ、注意深く耳を傾け、心を合わせ祈り、心から「アーメン」と応えることで深めていただければと思います。
「交わりの儀」聖体拝領の直接の準備は「主の折り」によって始まり、他のミサの箇所では神を聖なる全能の神と呼んでいましたが、御聖体で養われようとしている私たちは神を「父」と呼び、私たちが神様の子供であり、互いに兄弟であることを示しています。教会に平和を願い、互いに主の平和の挨拶を兄弟姉妹と交わします。ミサは神に対する賛美と感謝と罪の贖いの生賛であるだけでなく、主の食卓でもあります。聖体拝領によって霊魂の糧としてキリストの御体を頂くのです。
「閉祭の儀」missa est 私たちの贖いと感謝と賛美そして祈りは御父に捧げられた、ite 行きなさい。頂いた恵を携えすべての人にキリストの喜び、福音を述べ伝えるために。
こうして私たちは日々の生活の中にキリストを証しする者として派遣されていくのです。
第ニヴァチカン公会議で会衆は受け身ではなく積極的な典礼参加が求められるようになりました。ミサに預かるのではなく司祭と共に捧げると言う自覚を深め、これからも大切な典礼に関しての学びを大切にしていさましょう。