田園2018年11月号 巻頭言

田園2018年11月号 巻頭言

 

死者の月に寄せて

協力司祭 トマス小平正壽神父

 

今年も死者の月を迎える候となりました。皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。
カトリック教会では菊の花が咲く十一月を死者の月として亡くなられた方々の冥福を祈る伝統があります。ローマで勉学中は墓地でのミサをよく頼まれたものでした。

日本では十一月初句に七五三の祝いが行われますが、実はこれも死者との深いつながりがあります。江戸時代やもっと前の時代には、疫病がはやり、その犠牲になるのは幼い子供たちが多かったのです。
このことを悲しく辛く思った親だらけ子供たちが悪い病気から守られ身も心もすくすくと育つように神社にお参りし折るようになりました。ちょうどその上うに思い立ったのが秋の季節だったのです。そして、周りを見回しました。なんと、山々の木々は紅葉し、自然界が何と美しく着飾っているではありませんか。親御さんだらけ感勤しました。

そういえば、漢字の「秋」は、野山が火のようになると書きますね。山全体が、赤々、黄色に輝き、あたかも燃えているかのような印象を与えます。「秋」には、「飽き」、すなわち、「満ち足りる」という意味が隠されているともいわれます。

 

私たちが人生の秋を迎えるとき、それは満ち足りた人生を終え、主のもとに帰る時なのかもしれませんね。

ヘルマン・フォイヴェルス神父様の書かれた「人生の秋に」の中から「最上のわざ」を抜粋して終わりたいと思います。

最上のわざ

この世の最上のわざは何?

楽しい心で年をとり、

働きたいけれども休み、

しゃべりたいけれども黙り、

失望しそうなときに希望し、

従順に、平静に、おのれの十字架をになう・・。

若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、

人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、

弱って、もはや人のために役たたずとも、親切で柔和であること・・。

老いの重荷は神の賜物。

古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために・・。

おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事・・。

こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくがさる。それは祈りだ・・。

手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。

愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために・・。

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。

「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と・・。

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