田園2017年9・10月号 巻頭言

田園2017年9・10月号 巻頭言

人が心の中に生きる
主任司祭 ドミニコ竹内正美神父

休暇を取り、長崎と五島へ帰省して来ました。帰省した人々で田舎も賑わっていました。年老いた親もその目を待ちわびていたようです。ふとこんなことを思いだしました。
「元気でいるか  町には慣れたか  友達できたか  寂しかないか  お金はあるか  今度いつ帰る」
もう随分昔にはやった、さだまさしの歌です。都会で一人暮らしをする息子のことを、田舎に残る母親が思う心を切々と歌ったものです。このような思いは親であれば誰しも経験しているのではないでしょうか?
「人が心の中に住む」、物理的には不可能なことですが、人と人との関わりの中では常に起こっていることではないでしょうか?この歌のお袋の心のうちに、しっかりと息子が住んでいると言えるでしょう。いくら遠く離れても母の心の内にいる息子の位置を揺るがすことはできません。むしろ、愛の絆が強ければ強いほど、その息子の存在は、母の心の内に位置を占めるのです。
人を愛するということは、そのようなことではないでしょうか?ある人が私のうちに住む。そうすると、その人のことが気がかりで仕方がなくなります。今、何をしているのだろうか?何を思っているのだろうか?何を大切にしているのだろうか?その人の住む位置が、私の心の内をより大きく占めていきます。そして私自身、思いも変わっていくことになります。そのようにして愛は成熟していくのだと思います。
互いが互いへの愛のために、互いが互いの心の内に等しく住み合い、互いが互いの心を占め合っている形になります。このような愛の交わりは、人間にとってはそう簡単に到達できるものではありません。その理由は人間社会の色々な不条理の中にあると言えます。が、ある書物には「人間は、不条理の中にいるのではない。愛は不毛ではなく成就していくのだ。それも人間の限界ある力によってではなく、人間の力をはるかに超えた方の力によって」と。
まさにキリストの教える愛の神秘がここにあります。不条理の中で愛せないと人は言います。人は人に条件を付けて愛そうとします。「こうあって欲しい、こう変わって欲しい、そうすれば私は愛することが出来るのに・・・・・・」と。
「人間は不条理の中にいるのではない」「愛は成就していくものだ」「人間の限界ある力によってではなく、人間の力をはるかに超えた方の力によって」。キリストの教える愛の神秘は、まさに私が神に祈りながら、神の力によって私が変えられていくことなのだと思います。

「理解されることよりも理解することを、愛されることよりも愛することを求めさせてください」とアシジの聖フランシスコは祈っています。聖フランシスコの心の内にすべてのものが兄弟、姉妹として位置づけられていったのは、皆さま
もよくご存知です。
信仰を通して神の力によって愛すること、心が一つになれるように祈りたいものです。

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