田園2015年12月号 巻頭言

田園2015年12月号 巻頭言 わたしとあなたの信仰の振り返り

主任司祭ドミニコ竹内正美神父

 

典礼暦は十一月二十二日(日)王であるキリストの祭日をもって一年の締めくくりとなります。次週十一月二十九日(日)より新しい年に入る待降節第一主日を迎えます。

待降節は私たちに二つの大切な事柄を指し示してくださいます。

それは、神の子、イエス・キリストの第一の来臨を思い起こし、降誕の祭日のための準備期間です。それはまた同時に、その追憶を通して終末におけるキリストの第二の来臨の望みへと心を向ける期間でもあります。

待降節の期間を一言でいうならば、「さあ、今こそ恵みをいただく時、さあ、今こそ救いの日」(IIコリント6,2)と、この言葉はすぐ前の言葉に結びついています。「なぜなら、恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを肋けた」と神は言っておられます。イザヤ書では「今は苦しみの時だ。しかし、やがて神の救いが来る」という、将来を待ち望む信仰によって書かれています。ところがパウロはそうではなく、「今や恵みの時。今こそ、救いの日」と「今」を強調しました。いつか、やがて、神様の救いが来るというのではなくて、今、ここに、神の恵みがあり、救いがあると、イザヤが言えなかったことをパウロはここで言い切っています。

イエスの第一の来臨の重要なところです。

イエスの第一の来臨はご存知のように、二千年程前に処女マリアからの誕生でした。

「実に、すべての人に救いをもたらす神の恵みが現れました」(テトス2,11)。人々は長い間、救い主の誕生を待ち続けていました。父である神の救いの計画を果たすためにイエス・キリストは来られました。全人類の罪の贖いのためにご自身を十字架の犠牲としてお捧げになりました。それゆえ、私たちはその救いに与かることができたのです。

イエス・キリストの誕生は私たちに大きな希望と喜びをもたらしてくださいました。

これが第一の来臨です。

次に第二の来臨について考える時、待降節は私たちとって愛と喜びに包まれた希望の時であると言えます。

第二の到来について、イエスご自身は次のように仰っています。「その日、その時は、誰も知らない。天の使いたちも、子も知らない。ただ父だけが知っておられる」(マタイ24,36)と。イエス・キリストがその再臨の時を隠されたのは、私たちが目覚め、各自が自分の生涯において、何時かその時が来ると思うようにするためです。何時か私たちは神の前に立たなければなりません。自分の人生におけるおりとあらゆる事柄について、神の前で報告することになります。「だから、目を覚ましていなさい。あなた方はその日、その時を知らないからである」(マタイ25,13)

わたし自身、あなた自身、頂いた信仰を如何に生きているでしょうか?最後の審判で「わたしの父に祝福された者たち、さあ、世の初めからあなた方のために用意されている国を受け継ぎなさい」(マタイ25,34)と、呼び掛けられるように、信仰生活の確かな歩みを続けて參りましょう。

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