田園2019年2月号 巻頭言

田園2019年2月号 巻頭言

み言葉は人となって私たちのところへ来られた
協力司祭 トマス小平正寿神父

皆様、新年あけましておめでとうございます。今年も神は聖書のみ言葉によって私たちに語られます。
だからこそ、この一年も神に聴くことにかかっています。
待降節と降誕節にかけて、人類の救いの協力者となった人々の聖書が読まれました。
その人々に共通しているのはまず神のみ言葉(お告げ)があったことです。
旧約では、もう子供は授からないとあきらめていたハンナにサムエルという男の子が生まれました。そして神が、男の子、サムエルに初めて語られるのですが、当時、神のみ言葉がこのように語られることはまれだったのです。サムエルも自分の師から教えられるまで主のみ言葉にこたえることを知りませんでした。

しかし、四度目に神が語られた時、師の言われた通り、サムエルは「はい、主よ、私はここにいます」と答え九時、神はご自身をサムエルに現わされ、サムエルも神を知るようになったのです(1サムエル3章)。
つまり、「神が語る」とは、神がみ言葉によってご自身を私たちに現されることであり、「神に聴く」とは私たちが神のみ言葉に応答して神のご計画を知ることなのです。
二千年前、聖母マリアに起こったことも、親戚のエリザベトに起こったことも同じでした。
聖母マリアの「お言葉の通りなりますように」との返事で救いの夜明けが始まったのです。
こうしてみ言葉は人となって私のところヘお現われになったのです。神はみ言葉であるイエスによって語られ、ご自身を現され
たのです(ヨハネ1:14)。
それは私たちがイエスによって神に聴き、神を知るためでした(ヨハネ1:44‐45)。

神はこの一年もみ言葉によってイエスにあって私たちに語られ、ご自身を現されます。
私たちもイエスにあって神を知り、聴き従っていこうではありませんか。
「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。
わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る」。(ヨハネ10:27)
私たちの世界はまだまだ福音的とは言えないかもしれませんし、まだ主のご期待にお答えできていない現実があるかもしれませ
んが、神のみ言葉は決して実りなく地に落ちることはないことを信じて神のみ言葉を聞き、答えてまいりましょう。(イザヤ55:11)。

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