田園2016年1月号 巻頭言

田園2016年1月号 巻頭言

あけましておめでとうございます
新しい年が皆様方にとって恵み豊かな年となるよう、
お祈りいたします。

主任司祭 ドミニコ竹内正美神父

「いつくしみの特別聖年」に向けた岡田大司教様のメッセージが送られてきました。
そして教区事務局より「皆様の準備に役立てて欲しい。今後様々な機会に、利用して頂きたい。」と添えられていました。

「いつくしみの特別聖年」が二〇一五年十二月八日の無原罪の聖マリア祭日からはじまり今年の十一月二に一日王であるキリスト祭日で聖年の扉が閉じられます。

フランシスコ教皇は「いつくしみの特別聖年」について「神は常にいつくしみの扉を開き、あらゆる人に赦しの手を差し仲べているのだから、すべての教会とすべてのキリスト者の心は決して他者に向けて閉ざされてはならない」と強調しています。
この教区からの要望に応えて、皆様に最初に触わる機会がある[田園」一月号の巻頭言に岡田大司教様のメッセージを掲載することにいたしました。

編注:印刷版の「田園」一月号では巻頭に岡田大司教様のメッセージが掲載されておりますが教会ホームページでは主任司祭 竹内神父様のメッセージを巻頭といたしました。

 

 

いつくしみの特別聖年を迎えるにあたって

東京大司教 ペトロ岡田武夫

 

二〇一五年十二月八日から始まる「いつくしみの特別聖年」を迎えるにあたり、東京教区の皆さんにお願いと励ましの手紙を送ります。

わたしたちはこの特別聖年の意義を大勅書「イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔」(二〇一五年四月十一日、神のいつくしみの主日前晩)から学ぶことができます。

人となった神、イエス・キリストにおいて神のいつくしみは余すところなく示されました。御子を見る者は御父を見るのです。イエス・キリストを見る者は、いつくしみ深い神を見ます。

教皇フランシスコはわたしたちが主イエスを通して現れた神のいつくしみをより深く悟り、喜びのうちに神のいつくしみを人々に伝え表すよう、わたしたちに呼びかけています。

神のいつくしみは、わたしたち罪人の罪をゆるし、傷と痛み、病をいやし、わたしたちを清めいかし、聖である神の懐へと導きます。

神のいつくしみをより深く知るためには、よく祈り、聖書をより深く味わい、また聖体などの秘跡に心を込めて与らなければなりません。

神のいつくしみはまず、有名な放蕩息子の話にあるように、何より罪人を受け入れゆるす神の愛として示されています。

父のもとに戻った放蕩息子を、父はいつくしんで喜びのうちに迎え入れます。

確かに神はわたしたちの罪をゆるします。

そして、罪のゆるしを受けたものは、その償いを果たすことになります。とは言え、わたしたちのうちには罪への傾きと執着が残っております。わたしたちは自分自身の中に不一致と分裂があることを知り、また、霊と肉の葛藤に悩むこともあります。

パウロが言うように、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。それに対して肉の業は、聖霊の働きに逆らう状態であり、わいせつ、偶像礼拝、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、仲間争い、ねたみ、泥酔などです。(ガラテヤ5・19‐23)ですからわたしたちは罪のゆるしを受けてからも肉の業と戦い、自分の罪を償い、自分を清めるように求められています。

初代教会においては長期間にわたる償いが課せられましたが、やがて、祈り、善行、断食、施し、教会訪問などによって償いを代替するようになりました。

このたびの特別聖年に際して教皇フランシスコは、九月一日の書簡(注1)において「免償」(注2)について語っています。

教皇の意図は、「免償」を通して人が神のいつくしみに触れる機会を持つように、という点にあります。具体的な償いと清めの業を行うことにより、わたしたちは神のいつくしみに与り、さらに神のいつくしみの業を人々の為に行う人となるのです。

この恵みに与るために例えば次のような清めと償いの行いが勧められます。

① 指定された聖堂を訪問(注3)して所定のお祈りをし(教皇による特別聖年の祈り)、信仰宣言を唱える。

② 司祭からのゆるしの秘跡を受けまた聖体拝領をする。

③ 聖書を通して神のいつくしみを深く黙想する。

④ 神のいつくしみにかなった行いを実行する。

 教皇は、神のいつくしみを表し伝える行いは、それが霊的なもの(祈りなど)具体的な行為であれ、それぞれか、そのたびに「免償」を得る機会となる、と言っています。教皇は、病気、老齢、そのほかの理由で教会訪問ができない人々や、刑務所にいる囚人にも神のいつくしみを受けることができる道を示しています。

また胎児の生命を犠牲にせざるを得ない人々に対しても、神のいつくしみを説き、ゆるしの秘跡を受けるように励ましています。

      2015・11・29記

注1 カトリック中央協議会のHPで全文を読むことができます。

注2 「免償」とは、教会が定めた条件のもとに償いの効果をもたらす罰を免除することです。

   罰とは、罪そのものが必然的にもたらす、人を苦しめる悪の結果です。

   回心により償いの業は、人の苦しみから解放します。

   (カトリック教会の教え220〜221ページ参照)

注3 指定聖堂は東京カテドラル聖マリア大聖堂、築地教会、神田教会、麹町教会、八王子教会、西千葉教会です。

   これらの聖堂を指定したのは、東京教区の歴史を振り返っていただきたいという思いからです。

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