田園2019年9月、10月号 巻頭言

田園2019年9月、10月号 巻頭言

 

聖フランシスコの回心

肋任司祭 アウグストヌス桑田拓治神父

 

聖フランシスコの回心を考えるとき、その始まりはとても個人的な彼の内的回心でした。彼自身は修道会を創立しようと思っていたわけではなく、キリストとの出会いのなかで必然的な歩みとして回心の道のりを歩み出していたのです。彼は回心のプロセスを今までと違うものに変えられて行きます、彼はそれを遺言のなかで「以前つらく思われていたことが、私にとって魂と体の甘味に変えられました」と記しています。これは聖パウロの回心に対しても言えることですが、感性を完全に変えられた彼にとって今までの生活を続けることは決して出来ないことでした。その彼にとってアシジの司教の前ですべてを脱ぎ捨て父親に返したことは必然的な出来事だったのかもしれません。

 

サン・ダミアーノの小さな教会で十字架のイエスから「私の教会を建て直しなさい」と語りかけられたとき、彼は教会刷新のことなど思いもせず、単純に自分の手でその命令を個人的に実行に移していったので大回心前のフランシスコはアシジの若者たちの中心にいるような人物であり、父親の財産もあり、将来有望視された若者でした。その彼が奇妙な生活を始めたことはアシジでは注目されていたことだろうと思われますそんな注目を浴びていることもフランシスコにとっては関係のないことでした。しかし、少しずつとはいえ彼の生き方に興味を持ち、彼と共に生きることを選択する人々が増えていたのです。彼にとっては兄弟が増えることは喜びと共に戸惑いも大きかったことだろうと思いま大事実技はこのときのことを遺言のなかで主が私に兄弟をお委ねになりましたとき、私が何をなすべきかを教えてくれる人は、だれもいませんでした。しかし、いと高きお方が自ら、聖福音の教えに従って生活すべきことを、啓示して下さいました。それで私は僅かな言葉で単純にそれを書きしるさせ、教皇は私のため裁可して下さいました」と述べています。その後急速に兄弟達が増えるなかで(数年後には5000人をこえたと言われています)フランシスヲ目身は修道会の会則を正式に書く必要に迫られます。

 

個人的な回心の歩みが、強大な流れとなってフランシスコ自身を飲み込んでいき、彼自身を新たな回心へと導いていきます。それはこの修道会を自分が作ったのだという意識からの解放でした。

 

会則を書き上げる過程で、彼はこの小さき兄弟会を作ったのは自分ではなく、自分を用いてキリストご自身が創立されたのだと言うことに気づいていくのです。こうして彼はその生涯の歩みを通して常に「より小さき兄弟」となっていく回心の歩みを続けたのでした。彼から学ぶことは、回心とは1度かぎりのものではなく、生涯にわたる生き方であり、その人自身の歩みに他ならないと言うことではないでしょうか。

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