2022年4月14日 聖木曜日「主の晩さんの夕べのミサ」 典礼について

第一朗読  出エジプト記121-811-14

過越の食事についての規定

答唱詩編  詩編11612+1315+16b17+18

このパンを食べ、この杯を飲み、わたしは主の死を告げ知らせる。

第二朗読  ①コリント1123-26

あなたがたは食べ、飲むごとに主の死を告げ知らせるのである。

福音朗読  ヨハネ131-15

1過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。2夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。3イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、4食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。5それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。6シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。7イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。8ペトロが「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。9そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」10イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」11イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。

12さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。13あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。14ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。15わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」

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神と人々への奉仕

最後の晩餐を直接記念する「主の晩餐の夕べのミサ」から、典礼暦の頂点である「聖なる三日間」がはじまります。主の晩餐について、共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)は、いずれもイエスが弟子たちと過越の食事をしながら、パンとぶどう酒を聖別する場面を記していますが、今日読まれるヨハネ福音書では、弟子たちの洗足の場面が描かれています。

この腰をかがめて弟子たちの足を洗うイエスの姿は、生涯を神へささげ、人びとに奉仕して来られたイエスの生き様を象徴しています。

一方、聖体の制定も、同じように、パンとぶどう酒の中にキリストが存在し、わたしたちのいのちの糧として、またわたしたちの罪のあがないのためにイエスがご自身を捧げられていることを表しています。

現代に生きるわたしたちも、「わたしの記念として」行うように、との命令に従い、イエスの模範のように相手を思いやり、時間を割いて他者のために奉仕することができるよう願いながら、この聖週間の典礼を祈りのうちに過ごして参りましょう。

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