2022年3月20日 (C年) 四旬節第3主日 典礼について

第一朗読  出エジプト31-8a13-15

「わたしはある」という方がわたしをあなたたちに遣わされた。

答唱詩編  詩編1033+46+78+13

心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。

第二朗読  ①コリント101-610-12

荒れ野での民とモーセとの出来事が書き伝えられているのは、わたしたちに警告するためである。

福音朗読  ルカ131-9

1ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。2イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。3決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。4また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。5決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」

6そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。7そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』8園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。9そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」

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「言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」

事件や事故に巻き込まれて死んでいった人々のことを、他人事のように語る人たちに向かって、イエスは「言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」と2度も強調して言います。

当時のユダヤ人には「出来事というのは神の言葉である」という考え方があり、不運な事件や事故に遭った人にはそれ相応の罪があったのだと考えていたようです。イエスはもちろんこのような考え方を完全に否定しますが、いちじくの木のたとえを挙げ、回心しない人の「滅び」はむしろ強調します。この「滅び」とは、人生における死ではなく、神から永遠に切り離されるという意味での滅びです。

またいちじくの木は、自分だけの平穏な生活に満足して、身近にいる苦しむ人たちに目を向けることのできない人、神の目には実を結ばない人の象徴です。御父は人間の回心を待ってくださいますが、それはあくまで一刻です。

御父に祈ります。日々様々な出来事が伝えられる時、わたしたちが苦しんでいる人々に目を向けることができますように。また、その苦しみを少しでもやわらげられるよう、わたしたちを道具としてお使いくださいますように。

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