2021年8月1日 (B年) 年間第18主日 典礼について

第一朗読  出エジプト162-412-15

これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。

答唱詩編  詩編783+423+2425+54

神のわざを思い起こそう、力ある不思議なわざ。

第二朗読  エフェソ41720-24

真理に基づいた正しく清い生活を送るように

福音朗読  ヨハネ624-35

五千人がパンを食べた翌日、その場所に集まった24群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちも小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。25そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。26イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。27朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」28そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、29イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」30そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。31どのようなことをしてくださいますか。わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」32すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。33神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」

34そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、35イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」

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真のいのちのパン

ここ数週間の主日の福音ではイエスの優しさに満ちた姿が示されてきましたが、今日の福音では視点が変わります。イエスは、奇跡の見世物と無料で配られる食料を喜んでいる群衆に、物質的な宝物ではなく、霊的な宝物を得るように求めます。

人々がイエスを探し求めて奇跡にあずかるだけではなく、一歩踏み込んで、イエスと出会い、イエスを知るよう求められておられるのです。先週のパンと魚を増やした奇跡は、御父が偉大なたまものを人間に与えて下さったことを表す「しるし」であり、そのたまものこそがイエスご自身なのです。

人々は主の呼びかけに耳を傾けますが、その意味が理解できず「何をしたらよいでしょうか」と尋ねます。神を喜ばせるためには何を行うべきか、イエスから知ろうとするのですが、イエスは、何かを「する」ことよりも、神がお遣わしになった方を「信じる」ことだと答えられました。

私たちも、朽ちるパンの心配をするだけではなく、「いのちのパン」であるイエスとの結びつき、イエスへの信仰を育むことができるよう、聖母マリアの助けを願いましょう。

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