2021年6月20日 (B年) 年間第12主日 典礼について

第一朗読  ヨブ38・1、8-11

高ぶる波をここでとどめよ

答唱詩編  詩編107・23+24、28a+29+30、31+32

神のいつくしみをとこしえに歌い、主のまことを代々に告げよう。

第二朗読  ②コリント5・14-17

新しいものが生じた。

福音朗読  マルコ4・35-41

35その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。36そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。37激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。38しかし、イエスは艦の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。39イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。40イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」41弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。

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イエスに信頼する

今日の福音の朗読箇所は先週のたとえの話の後に続く話です。イエスは舟に乗って弟子たちとガリラヤ湖を渡ろうとしますが、途中で嵐にあいます。イエスはそのことを気にもとめず眠っています。弟子たちはそのようなイエスの態度に疑問を抱き、自分たちの命を助けるようにイエスに求めます。イエスは嵐をしずめ、こう言います。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」

信じていないから怖がるということは、信じていれば怖がることはないということです。イエスが眠っていて何もしていないように見えても、助けてくださるのです。そのイエスを信頼し、全てを委ねることができるか、それが問われています。

弟子たちが共に乗っていて嵐に揉まれている舟は、今日の教会のようなものです。わたしたちの周りには自分たちではどうしようもない多くの困難がありますが、大切なことは、教会という舟にイエスはいつも共にいて、わたしたちを助けてくださる、ということです。そのことを信じることができれば、どのような困難でも乗り越えていくことができるのです。

共にいるイエスを見失うことがないよう、聖霊の助けを願いましょう。

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