2020年12月6日(B年)待降節第2主日 典礼について

第一朗読  イザヤ401-59-11

主のために、道を備えよ

答唱詩編  詩編85910+1112+13+14

神よ、わたしに目を注ぎ、強めてください、手をさしのべて。

第二朗読  ②ペトロ38-14

わたしたちは新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。

福音朗読  マルコ11-8

1神の子イエス・キリストの福音の初め。

2預言者イザヤの書にこう書いてある。

「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。

3荒れ野で叫ぶ者の声がする。

『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」

そのとおり、4洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。5ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。6ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。7彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。8わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

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主の道を整えよ

荒野のかなたから「主の道を整えよ」と回心を呼びかける洗礼者ヨハネの声が聞こえて

きます。旧約聖書の世界では、荒れ野は神が預言者を通じて民に語りかける場とされてきました。

洗礼者ヨハネは荒れ野で公然と回心の必要を説き、水による洗礼を授け、その上自分よりも優れた方の到来と「聖霊」による洗礼を告げ知らせます。こうしたヨハネの活動は、イザヤをはじめとする預言者によって明らかにされてきた神の計画において、「主の道を整えた」と理解されています。

一方でこの「主の道」は、私たちの心の在り様として捉えることもできます。私たちの心はときに大きく乱れ、まがりくねった、でこぼこの道になってしまうことがあります。怒りや憎しみ、不安や恐れ、欲望などの様々な思いに捕らわれ、まがりくねって乱れた道の奥にいる私たちは、道の先のすぐ入口まで来られたイエスのお姿さえ仰ぎ見ることができなくなってしまいます。

自分の心をしっかり整え、心の混沌を追い払うとき、私たちの中にイエスが来てくださるのでしょう。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。待降節に、この言葉を深く味わいたいと思います。

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